本を読むブログ howto read book.com

本を読み、感動し、人に伝えるのは僕たちの使命です。

書評/感想『君と会えたから......』夢は拡散する。他人にも、未来の自分にも。

 

「死ね」

中学生の頃ヤンキーから吐かれていたその言葉とは裏腹に、僕は人生で3回も命を拾っている。

 

 

f:id:sen-spring:20180319233554j:plain

 

 

 

 

 

1回目

4,5歳の頃、高さ1.5m程度の壁のブロック塀の上からコンクリートの地面へ頭から落ち、頭が割れた。

血が流れていたことと頭がぼーっとして意識がないことから、頭蓋骨骨折と脳震盪を起こしていたと思う。

 

気づけば僕は病院のベッドにいて、母親は常に隣にいて看病してくれいた。

親戚の家に遊びにいく予定が入院してしまったので、逆にいとこがお見舞いに来てくれて嬉しかったことを覚えている。

 

 

2回目は19歳の頃

上記の中学生の頃から僕は人間不信になり、完全に自分の殻に閉じこもるような性格になった。

当時は犠牲にした青春(今思えば結構充実していた)を取り戻すためには成功するしかないと考え、高学歴エリートへの道を歩もうと決心して浪人を始めた。

しかし基本的にバカだったので、思うように成績は上がらず目標としていた大学へ合格するための学力はつかなかった。

どんどん周りに置いていかれる焦燥感、勉強しても勉強しても理解出来ないという自己嫌悪、ずっと続いていた人間不信、家族との不和、軋轢。

 

自暴自棄も重なり、今この苦しみから逃げられるなら命を落としても構わないと思っていた。

ストレスや負担が重なり、僕は睡眠薬を大量に飲んだ。

 

しかしそれでも朝は来た。

薬の効果がまだ効いて意識が朦朧とする中、僕は律儀にも予備校に休みの連絡を入れた。

そして丸2日ほど眠り続けた。

目が覚めた僕はまだ生きているという実感と、これから続く勉強や自己嫌悪との間に挟まれて正常な判断が出来なくなった。

パニックになった僕は物に当たり、自分の部屋はまるで廃墟のようになった。

近所やお隣さんが暴漢や強盗が現れたのではと誤解したほどだったらしい。

 

結局ご近所さんで警察に勤めているおじさんが出て来て、僕をなだめてくれた。

それから僕は自分の身の丈に合った大学を目指し勉強しつつ、授業のカリキュラムを変えて空いた時間で予備校の友達とよく遊ぶようになった。

 

 

3回目は28歳のとき

今の職場で歓迎会を開いてもらったときに、僕は勢い余って急性アルコール中毒になって病院に運ばれた。

 

その前の仕事で心身ともに疲弊しきっていたため、他人とお酒を囲むなんて機会はほとんどなかったしお酒のペースも完全に忘れていた。

 

お店の外で地面に這いつくばって看病してもらっていた時、通りすがりのおばちゃんが「様子がおかしいから早く救急車を呼んだ方がいい」と助言をくれたらしい。

 

病院に運ばれたあと心拍数がみるみる下がり、血流は止まり、体温が下がってガタガタと震えながら僕は「死にたくない」とつぶやいていた。

 

ちなみに僕が運ばれた先の病院の看護師や先生は酔っ払いに尋常じゃなく厳しいところだった。

 

看護師のおばちゃんは心拍がとまりつつある僕に

「こんな忙しいのに心臓とめてんじゃねーよ!」くらいの勢いで怒鳴ったらしい。

隣にいた家族曰く、その瞬間に息を吹き返したとのこと。

 

点滴が終わり症状が回復して病院を出ようとしたころ、当直の医師が

「お酒でつぶれるなんて二度とやらないでくださいね。大人なんだから」と本当に呆れた顔で僕に説教をした。

 

付き添いの会社の人、家族、看護師さんと医師との関わりの中で、

本当に自分のことが情けないと思った。

 

 

 

 

 

僕はこの本を読んだときに、自分の命は幸運と他人からの施しの上に成り立っていると再認識した。

 

しかしどんなに強く願っても努力しても、人は必ずいつか死ぬ。

 

生まれてから死ぬまでの時間が人によって長い人も居れば短い人もいる。

 

なぜ生きるのか、どう生きるのか、と常に自分に問いて過ごさなければあっと今に人生の終わりを迎えてしまう。

 

 

作中ではヒロインが死ぬ。

死ぬ前にやり遂げたいことは誰かの夢を叶える手助けをすること。

しかもそれは彼女の父親から引き継いだ夢でもあった。

 

そして主人公は夢を叶える。

 

書中にはいくつも夢を叶えるためのステップが具体的に書かれている。

僕はこの手の本をいくつか読んだことがあるが、その内容はだいたいいつも同じだ。

 

しかし僕はそれを読むたびに

「また同じことが書いてある。ビジネス系自己啓発書の焼き直しか」

なんて思うことは出来ない。

 

なぜなら著者は身近な人を2人亡くしたことをきっかけにこの本を書いた、と書き加えているからだ。

 

夢が叶うどころか、夢を見つける前に亡くなった若い人もいる。

 

 

それを想うと僕はとても運がいい。

事故で頭を割り、イジメから人間不信になり、自己嫌悪で自殺未遂、急性アル中、前職では心身が衰弱するほど働いて当時の夢は挫折した。

 

こうやって文字にするととんでもない精神異常者や酒に溺れる情けない男、仕事でうつ病になった社会不適合者のように見える。

 

でも僕は後遺症や病気もなく、五体満足で、趣味があって、時間があって、仲間がいて、健康な体があって(筋トレでバーベル120kgとか持ち上げる)、家族も居る。

 

恵まれた環境で自分のやりたいことを見つけてチャレンジ出来て居る。

 

このブログもその一環だ。

今現在進行形だ。

 

自分の弱さやダメなところを思い出し、今努力していること、続けることでたどり着ける未来。

その3つをこの本を読んで再認識した。

 

 

『君と会えたから......』の購入はこちら

https://goo.gl/pfg6vR

 

書評/感想 『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』 バカな僕でも仮説が浮かぶほど頭が動いた。

「最近の若い者は...

この古臭いセリフに反旗をひるがえすような論理を述べることからこの本は始まって居る。

f:id:sen-spring:20180318020855j:plain

 

 

若者が年寄りを淘汰して新しい時代が生まれる。

古いものから学んで新しいことを生み出す。

 

時間の循環によってこの世の中はより良い方向へ進んで居る。

 

そして現代は情報が蔓延して玉石混合になっている。

 

情報の良し悪しを判断するネットリテラシーを持って居るのは当たり前で、自動で情報を処理するAIなる存在も生まれ始めて居る。

 

そして今後はAIには行えない「好きになる」という感情を通じて職業を選び、お金を稼いで生きていく。

 

そんな世の中がすでにやってきて居るとのこと。

 

まさに「革命のファンファーレ」は鳴ったらしい。

 

 

 

 

 

常識のアップデートを止めてはならない。

 

本著の目的は前作の『魔法のコンパス』の出版後、めまぐるしくビジネスの手法が進化しているので、新しい手段を書き記す・バージョンアップするために書いたとのこと。

 

僕は日々本を読んで自分の知識をアップデートさせ、そしてこのブログに書いてアウトプットしている。

 

知識とは学んで終わりではなく実践するためにあるという考え方もある。

 

引き合いに出してしまうが、『今でしょ』でおなじみの林修先生は

「一番軽蔑するのは手段としての読書」とテレビ番組の中で話して居た。

 

僕は手段としても目的としても、何かを学んだり知ったり読んだりすることは正しいと考える。

 

ぶっちゃけ「新しいことしって楽しけりゃなんでもいいじゃん」って思ってるし、つまらないなら知らなければいいと思う。

 

 

 

「信用を稼げ」という言葉の罠

現代はお金ではなく信用を稼ぐ時代だと本著では述べられて居る。

なぜなら信用をお金で買うことは出来ないが、信用を使ってお金を稼ぐことはできる。

 

なのでまずは優先的に信用を増やすというところから始める。

 

著者の信用の礎は芸人時代、『はねるのトびら』などに出演していたころに築かれたと考えると思うし、僕もそう思った。

しかし、今は西野亮廣氏は『好感度低い芸人』や『炎上芸人』として名が通っている。

 

ではなぜ彼が絵本作家として成功出来たのか?結論は「根強いファンがいたから」ということらしい。

 

「じゃあまず信用を増やすために有名になろう!」というのは筋違いだと思う。

 

信用を増やしたり本や情報を無料公開することで得られるのは広告効果だ。

広告とは広く告知する、たくさんの人に知ってもらうということだ。

広く知ってもらうだけでは全く無駄で、その後のマネタイズや販売などをちゃんと決めておく必要がある。

 

マネタイズのための具体的なステップまで書いていれば、実用書レベルの書籍になったのではと思う。

でもこれはこの本の目的ではないかもしれない。

 

 

 

 

意思決定の鍵は「脳」ではなく、「環境」が握って居る

会社の偉い人に賛同したり空気を読んで言いたいことが言えなかったりするのは「お給料を会社からもらって居る」から。

 

別の言い方をすれば「収入源が他にないから会社を辞めれない」

 

そんな環境から脱すれば意見を環境に左右されることなく、自分に嘘をつくことなく生きていける。

なぜなら嘘をついてしまうと人の信用は得られないから。

 

「本気でバンドやりたいから会社やめるっす」

これは嘘ではない。

 

「会社の飲み会とかクソだるいし残業代出ないからから会社やめるっす」

これも嘘ではない。

 

そんな自分の意思を貫く人を、人は信用するとのこと。

 

 

で、僕は以上のことから1つの仮説を思いついた。

 

それは人の信用は感動から生まれ、

感動は『密度』にあるのでは?ということだ。

 

 

僕は『友達が聞いて鳥肌が立つレベルの曲』を作ることが出来る。

でもそれは友達が僕と知り合ってから過ごした時間や、音楽の学んできたプロセスを知って居るのが前提にある。

 

そしてその集大成である「僕の曲」というものを聞かせると友達は僕が学んできた音楽の集大成を数分で感じることになる。

その時様々な思いや出来事が頭をかすめ、そこに感情の動きが生じる。

 

 

 

他にも例は思い浮かぶ。

3ヶ月で劇的なダイエットに成功して周囲の男を見返した女性。

「芸術とは徹底された基礎」という名言を残した羽生結弦

また、他のスポーツや芸術、演奏、演舞、パフォーマンスといった類のものは

演者が行動した結果がその場に凝縮して現れて居るのを見ることが出来る。

 

 

上記の「会社やめるっす」の例は、会社を辞めたあとに何も成果を残さなかったら感動も何も生まれない。

 

でもバンドマンや歌手として活動し、メジャーデビューしたり「ネット上の歌い手」としてチャンネル登録者が100万人いて武道館でライブ出来ちゃったりしたら僕は感動する。

 

なぜなら会社を辞めたというプロセスと武道館ライブやメジャーデビューという結果が目の前に突きつけられて居るから。

 

 

 

僕はこの本を読んで「信用」と「感動」の1つの仮説を立てることができた。

 

これを他のシーンで応用して仮説を実証していけるように頑張る。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B075CHHZDY/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

書評/感想 『星の王子さま』 『心』の在り方を他人に任せるな。

「心で感じろ」

そう言われ続けて僕は心を病んだ。

 

 

 

f:id:sen-spring:20180317081012j:plain

 

心で感じたり、共感したりすることは人間が生まれ持ったときから備わっている機能ではなく、後天的に獲得する能力だと考えている。

 

僕は仲のいい先輩に「お前は心がないな笑」と言われることがある。

 

何かものごとに熱中したり、集中したりすると寝食を忘れて性格が変わるほどのめり込んでしまうタチだ。

 

そのため、先輩の飲みの誘いを断ったり、ピリピリしてるときに会うとそんな印象を与えるらしい。

 

 

 

僕はこの「心や感情」という言葉を振りかざして行動を制限したり操ったり強制したりする人が大嫌いだ。

 

心の在り方は人の自由だし誰かに強制されるものでもない。

 

説教というのは聞き手が求めているときに成り立つものであって、する側が押し付けるものではない。

 

「師は求めたときに現れる」という言葉の所以もそこにあると思う。

 

感情は自然と発生するもので、どのように受け止めればいいのか他人に型どられるものではない。

 

 

このブログもいつも感情に任せて書き殴っているので、誰かに教わったり制限されているわけではない。

 

だからこそ自分の心から自然に生まれた言葉を綴ることが出来るし、誰かに批判されたり奪われたり壊されたりすることがないので安心して文を書ける。

 

そんな環境を1つでも持っていることが、人が人らしく在るための前提だと僕は思う。

 

 

 

 

 

著者のサン=テグジュペリは飛行士かつ作家だった。

 

砂漠に墜落した経験があり、その境遇を作中の主人公へ投影している。

 

作者が砂漠で生死を彷徨った経験は想像を絶するが、星の王子さまなる人物が現れていないことは確かだ。

 

だか、彼は極限に追い込まれた環境で出会ったはずだ。

 

何に出会ったのか。

 

それは自分の心だったんだろうと僕は考える。

 

薄れていく意識、下がっていく体温、震える体、少しずつ静かになる鼓動。

 

「なぜこうなったのか」という感情、やらなかったこと、チャレンジしなかったことに対する後悔が芽生えてくる。

 

 

作中では「目に見えない大切なもの」は主人公にとっての絵を描くこと。

 

砂漠を歩き回り無事生存した彼は、本著を書くことになる。

 

作者のサン=テグジュペリが見つけたものは後世に残る本を書くことだったのかもしれない。

 

 

 

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは 、きみが 、バラのために費やした時間だったんだ」

作中より引用

 

気持ちや感情、心というのは後天的に獲得した能力だと僕は思う。

 

本を読んだり人と話したり映画を見たり旅行に行ったり景色を見たり恋をしたり。

 

そんなときにいい気持ちになったり悪い気持ちになったりする。

 

そんなプロセスを経て言葉にすることこそ、気持ちを表現することなんだと最近僕は知った。

 

誰にも邪魔されることのない本という星空に、心という飛行機を飛ばす。

 

思いを馳せるという言葉がある。

 

時には砂漠に墜落してしまうこともあるかもしれない。

 

でもその時、あなたは星の王子さまに出会うのだろう。

 

 

https://goo.gl/cmcZkd

書評/感想 『アルケミスト 夢を旅した少年』僕は職場の先輩に無意識に説教するようになった。

僕は無意識に職場の先輩に説教を垂れて居た。

この本の内容を引用して。

 

f:id:sen-spring:20180312231300j:plain

 

 

 

 

 

 

僕は中小零細企業で働くサラリーマンだ。

 

 

 

ときおり社長と、同じ部署の先輩と3人で晩御飯を囲む。

 

 

 

その時の話題は専ら、どうやったら会社の売り上げが伸びるか。

「どうやったら会社の経営がよくなるか。

一従業員の立場だが、それを考えて話して欲しい。」

 

 

 

 

 

社長は僕たちを雇って働かせつつも、ただそれだけではなく経営的な考え方を話し合うことでより良い会社にしていこうという試みから僕たちを食事に連れていってくれる。

 

 

 

 

 

 

時折事務所中に響き渡るほど怒鳴り声が大きい社長は周囲から畏怖の念を抱かれている。

 

 

そして僕の先輩はなかなかストレスに弱いタイプだ。

 

 

 

 

 

3人での食事もいつも緊張した様子でこわばって居る。

 

 

その様子を見て僕は思った。

 

 

 

「『大いなる魂』を知らないとはこのことかもしれない」

 

 

 

 

 

 

アルケミスト 夢を旅した少年』の作中にはしばしば『大いなる魂』というキーワードが出てくる。

 

 

 

なんともぼんやりした言葉で、正直僕もそれが何なのかハッキリと捉えていない。

けれど人によっては「第六感」「千里眼」「勘の良さ」「神の声」と考えることだ出来るかもしれない。

 

 

 

物語の舞台はスペイン

 

羊飼いとして生計を立てる主人公の少年はある日、宝物の在りかを示す夢を2度見る。

道を示してくれる人に出会い、学び、現在の自分と別れ、恋をして、闘い、夢に生きて宝物を探す。

 

 

作中では成功と幸福の象徴として宝物が描かれて居るけど、僕にとっては少年の成長こそが宝物だと感じた。

 

 

 

『学びや気づき』を与えてくれる存在と何度も触れ合う旅に少年は次第に「大いなる魂」を感じて神のような存在と対話をして愛を教えるまで成長したのだから。

 

 

 

旅と成長というテーマは、作者のパウロ・コエーリョ自身がその時の生活を投げ捨てて旅に出るという背景から生まれたもの。

 

 

 

音楽・作詞・プロデュースという才覚に恵まれながらも、彼自身が考える「宝物」を探して何度も旅に出るということを繰り返して居た。

 

 

舞台がスペインというのも、彼が実際に巡礼をした土地について書きたかったからだと思う。

 

 

 

 

作品自体がパウロ氏の出世作となり、作中の少年も成功と幸福と夢へ向かって旅をした。

 

パウロ氏がこれを書いて居たときはまだ無名だったかもしれないが、このように作者の登場人物が結果的にリンクしているというのはまるでロシアのマトリョーシカ人形のような関係になっている。

 

f:id:sen-spring:20180312234112j:plain

 

 

 

 

僕が作中で一番印象に残って居るのは次のセリフだ。

 

「幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ。」

作中より引用

 

 

 

物語の中で少年に教えを説く老人が、少年に理解をさせるために小話をするシーン。

 

 

細かい説明は省くが、世界の素晴らしさとは幸福、名声、お金、出世などの象徴、

スプーンの油とは僕たちの日常の生活や目の前の幸せのこと。

 

 

それは仕事だったり、友達だったり、恋人だったり、趣味だったり、家族だったりする。

 

 

 

 

 

 

 

僕は中小零細企業で働くサラリーマンだ。

 

ときおり社長、同じ部署の先輩と3人で晩御飯を囲む。

 

そして僕の先輩はなかなかストレスに弱いタイプだ。

 

 

 

「会社をよりよくすることで得られるボーナスや評価が『世界の素晴らしさ』とするならば、『スプーンの油』は目の前の仕事のことかもしれない。」

 

 

 

僕は社長と話す準備をして緊張している先輩にこの話をした。

 

 

先輩は少し緊張がほぐれた様子だった。

 

 

 

物語の中で少年に教えを説く老人がした例え話に感銘を受けた僕。

 

 

 

現実では僕が老人のようになり、先輩が少年のような立場でその話を聞く。

 

 

 

まるでロシアのマトリョーシカ人形のようだった。

 

 

 

作中の舞台はスペインなのに、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3/13追記

 

 

この作品に影響を受けて、ACIDMANというバンドが曲を書いて居る。

 

元ギタリスト・バンドマンとしてはこういった形で書籍と音楽が繋がるのが嬉しい。

 

youtu.be

書評/感想『ReLife -リライフ- 』これはまるで僕の物語だ。

この記事ではウェブコミックアプリ『Comico』に掲載されている『ReLife-リライフ-』の書評・感想を書いて行きます。

 

ネタバレ等は極力避けていますが、あなたの感動を減らしたくないので、作品を読んでからこの記事を見ることをおすすめします。

 

 

 

これはまるで僕の物語だ。

 

僕は一度夢に破れた。主人公の海崎新太のように一度仕事を諦めた。

 

海崎新太がネクタイを巻けなくなったように、僕も以前の仕事道具に触れなくなった。

 

トラウマとして夢に出てくるその当時の光景は、自然と自分が想像しうる最高のシーンへと勝手に変換されていた。

 

重圧に耐えて居た

 

ReLife -リライフ- 』は僕が以前の仕事をして居た時からリアルタイムで読んでいた。

 

年齢が全く同じ、主人公ほど正義感に燃えて居たわけではないけど、人のために自分が出来ることは何か、と考えながら行動する性格は同じでした。

 

しかし仕事や環境の変化から次第にアプリを開く回数は減り、作品のことは全く頭から離れていった。

 

周作中の以前の会社に居るような邪悪な考えの持ち主は僕の周りには居なかったけど、度重なる重圧やプレッシャーに耐えかねて潰れたという点は海崎の先輩にも似た部分があった。

仕事に燃えて、夢を叶えて天職とさえ思った仕事は、想像してもいなかった形で僕を主人公の海崎のように諦めさせた。

 

 

 

夢を諦めた僕は他に情熱を注ぎこめることを見つけた。

海崎新太は人生をやり直すという目的で高校生活をスタートさせた。

 

僕が新しいことに感じていることは不思議に、今まで感じたことのない高揚感や楽しさに溢れて居た。

海崎新太は新しい環境で仲間を見つけ、自信と希望を取り戻した。

 

半年、1年近く読んで居なかった作品のことをふと思い出して、再びアプリをインストールして読み始めた。

 

作品は来週最終回だけど、勢い余ってポイントを使って読んでしまった。

 

 

新しいことに挑戦すると発見があり、感動があり、そしてそれを誰かに伝えたくなる。

月並みな言い方だけれど、自分の人生を諦めることなく学びと挑戦を続けていれば必ず人生は上を向き始める。

 

あなたが今苦しかったり辛い環境に居るなら、進む方向を変えて新しい人生を歩き始めればいいと思います。

 

僕自身も、海崎新太のように『ReLife -リライフ- 』に挑戦しています。

 

あなたも自信と希望と笑顔を取り戻すために、

 

リライフしてみませんか?

 

 

リライフの閲覧はこちらから

https://www.comico.jp

書評/感想 「上京物語』 読書と感動は人類共通の使命だと思った。

この記事は喜多川泰さん著作、上京物語を読んだ書評を書いた記事です。

あなたの参考になれば幸いです。

 

 

本を読んで感動したことを人に伝える、それは 人類共通の使命だと思った。

 

僕はこの本を読んでそんな恥ずかしいけどそんな壮大なことを感じてしまいました。

 

1時間程度で読み切ってしまうこの本の中にはどれだけの思いが詰まっているのか。

 

これまでどれだけの人の心を動かしてきたのか。

 

感動のあまり、この「書評ブログ」を立ち上げて誰かに伝えたい、共有したいと思い、今勢いに任せてキーボードを打っています笑

 

書評の書き方なんて正直全然わからないですけど、本を読んで知識をつけることの重要性を、登場人物である父と息子によって思い知らされました。

 

登場人物は2人、父親と息子。

地方から東京へ進学のために上京する息子が、新幹線のなかで本を読む。

しかし読み進めていくうちに感じる違和感。既視感、デジャヴ。

息子が感じる既視感を読み手である僕自身が激しく感じていて、時折ゾッとするほど機械的にオートマチックに進むだろう数年後の将来を予感させた。

 

二重、三重にも重なった自己投影はループして、そして本の中で言う「大勢の人々」と現実で生きる人全てに共通する経験値として共有されている。

 

この本のポイントである物語の構造を話してしまうと、あなたの感動が減ってしまうかもしれない。そんな矛盾を感じながらもどうしても本の魅力を伝えたい。

 

僕が話せるあらすじはここまでですが、このブログを立ち上げるほどの衝撃を僕に与えたきっかけとして、以下文章を綴ります。

 

本の中で本を読み、知識を蓄えることの重要性と死生観を説明する文面があります。

僕たちは普段日常を過ごし、70年80年程度生き、そして死んでいく。

 

僕たちを構成する原子は宇宙が誕生する46億年前から存在しており、僕たちはたまたまその原子によって形を作られた使用期限数十年の作品にすぎない。

 

でも、その作品はどんな人生をあゆみ、どんな経験をへて人々に何を伝えていくのか。

 

原子で形作られた作品には意思が宿って、生き、人によっては使命を感じて文字通り命を使っていく。

 

その営みのなかに「知り、学び、感動を人に伝える」ことが人類共通のワークであると直感しました。

 

過去から積み上げられて来た人類の叡智と呼ばれるものを使い、ノイマンという天才がコンピュータを作り、ビルゲイツスティーブ・ジョブスがPCを作り、インターネット上にテキストを僕が打ち込んで、それを見つけたあなたがこの文を読んでいる。

 

そんなプロセスに価値があり、あなたは本を読み、それをまた誰かに伝えていく。

 

循環と輪廻という形をもって知識を人同士が伝え合っていく。

僕はそこに畏敬の念を感じざるを得ません。

 

 

勢いに任せてよくわからない書評になってしまいました。

こんな変な文書書かせるなんてどんな本なんだ?と興味を持った方、ぜひ読んでみてください。

 

https://goo.gl/nxoxYY